粉砕開放骨折(左頸骨付近)骨髄炎

2019年年明けまもなく私は自転車に乗っていてトラックとの交通事故に遭いました。
自転車も相手の車も全くの無傷で私の脚だけが壊れてしまいました。
そこからが長い入院生活の始まりでした。
運ばれた病院では手に負えず高速道路で大学病院に搬送され、そして数回の手術を重ねていく事になります。

最初の手術は、開放骨折で粉砕してしまった骨をなんとか繋ぎ合わせてプレートを入れ足の原形を留めて貰いました。今脚があるのはこの時のお陰なので大変感謝しています。
この時の術後は痛みとの戦いで、2.3日は麻薬系の痛み止めに頼りました。
とても動ける状態ではなくベッドの上で全て面倒をみてもらっていました。
微熱も続き傷の炎症値も高い状態でした。必死で今が一番辛い時…きっとこれからは日に日に良くなる!と願いひたすら天井を見つめ耐える日々でした。

2度目の手術は皮を移植する植皮の手術でした。
左脚損傷部の皮膚がなくなってしまったので右脚の太ももから採皮しました。
皮膚をとった場所と移植した場所の両方がすごく痛くて大変でした。痛み止めの点滴は6日間も続きその後、飲み薬に変わりましたが以来ずっと飲み続ける事となります。
事故から3週間、ようやく車椅子で移動できるようになり、事故以来初めて3人の子供達との面会が叶いました。
母の姿に子供達はどんな風に感じた事でしょう…
一番下の子はまだ7歳でママママと泣いてばかりいたそうです。それでも1日1日、少しづつの変化に希望を持ち、管がとれた、トイレに行けた、と今が一番大変で日が経つにつれだんだん良くなるはずと思い頑張れました。

しかし皮膚の移植をしたのにも関わらず傷は治りませんでした。シャワーに入る時は傷口から骨やプレートが見えている状態で目を背けたくなりましたが、来る日も来る日も自分で石鹸で洗いました。
手術の度にベッド上での生活に戻り、いつまでこの悪夢が続くのだろう…涙すら出ませんでした。
結局その後も傷は塞がらず骨やプレートが見えたままだったので3度目の手術となり次は、ふくらはぎの筋肉を移植する皮弁手術を行いました。
術後、麻酔の影響などはそれほどありませんでしたが、1週間は動けず管が入っていた状態で痛み止めや抗生剤の点滴を沢山受けながらのベッドの上での日々がまた続きました。

本当に家族や沢山の方々に頼ることしかできない毎日でした…友人が家族の為に何度もご飯や差し入れをしてくれたり、子供の具合が悪い時は病院に連れてってくれたり、習い事の送り迎えまでしてくれたりと…
私の母は自分の生活を犠牲にし我が家に住み込んで子供達の面倒をみてくれました。
感謝の気持ちでいっぱいでした。
私も頑張らなければと…早く戻って恩返しがしたいと常に思い皆に支えられていました。
でも気がつけば6ヶ月もの月日が経ち、その頃は少し疲れていました。眠れぬ夜が続き自分の脚のこと、家族の事が心配で、睡眠薬や安定剤に頼る様になっていました。

4度目の手術は、望みを掛けてプレートの異物が入っているせいで感染し傷が治らない可能性もあるのでと、本来1年は入れておくプレートを半年で取る抜釘手術をしました。
微熱は続いたままで傷口からも膿は出ていましたがリハビリもしていて、松葉杖無しで歩くところまで来ていたのですが…手術直後は麻酔の影響かその日の夜は食事もとれず動けなくなりました。
その後2週間は、めまいと、頭痛と食欲不振に悩まされました。
最後の望みをかけての手術だったのに、結局経過をみても良くならず、ああ、またダメだった…体力的にも精神的にも限界に達し自分を保っておく事が出来なくなり鬱の薬も処方されました。
今までは食べる事だけでもと頑張ってきましたがとうとうそれも出来なくなり、最悪な状態の方向に着実に来てしまっている事が自分でもわかりました。
医師からは切断の可能性も…と話もありました。

そんな時でした、ヨザ先生との出会ったのは…
家族の前では笑顔でいるつもりでしたがやはり隠しきれなかったようです。
夫が、やつれちゃって…と頭を撫でてくれました。
一緒に売店に行き気分転換に何か…と目の前にハワイ特集の雑誌Hanakoがありました。
私は20代の頃からずっとフラを続けています。私にとってフラは無くてはならないものです。事故にあった瞬間も、一番最初に頭を過ぎったのはフラ が出来なくなったらどうしよう…でした。
引き寄せられるようにその雑誌を手にしました。
数日後パラパラとページをめくるとドクターヨザの記事が目に入りました。ハワイのヒーラー…瞬時に迷いもなく、この人なら私を助けてくれる…この人しかいない!と運命すら感じコンタクトしました。奥様のノリコさんからのメールが届き、すぐにヨザ先生に遠隔でのトリートメントを施していただく事になりました。

そしてここから全てが好転したのです。
初めてのトリートメントのとき、基礎知識はほぼなく、遠隔ヒーリングを受けているその時に、あぁ、お腹すいた…と感じました。しばらく全くと言って良いほど食欲がなかったのでその感覚が嬉しかった。
そして睡眠にも障害があり精神的に気が張っていたので、体は眠くても気持ちが眠る事が出来ないでいました。
でもヒーリング中からとにかく眠くなり終わってから施術後、ノリコさんに変化を聞かれ、特にヒーリングでの体感は無かったがお腹がすいた事と眠くなった事を伝えると、動物と同じ!と喜ばれました。あとからそれが私の効果だったと分かり驚きでした。

そして2回目、3回目と回数を重ねる度に気持ちも体も元気になっていきました。ヒーリングという見えないチカラにこれって気持ちの問題かな…とも思いましたが、確実に元気になっている自分がいるのは事実でした。
ある日病院のヘルパーさんに声を掛けられました。
“なにか最近細胞がパンって元気になった感じ!”と。なかなかこんな事って言われませんよね⁈

微熱は治まり毎回の血圧や血液検査の結果も順調で、そしてずっと膿が出ていた傷の様子も変わってきたのです。
主治医はヒーリングを受けていた事を知りませんでしたが、急に傷の様子が変わって来たので、このまま治らないかね…と言われました。しかし同時に4回の手術をしても完全には治らない状況でどこの感染で治らないのかを今の病院では突き止められず、治療に行き詰まりを感じていたのでセカンドオピニオンを進めていました。
そして転院する事になりました。
新しい病院では一番恐れていた骨髄炎だった事がわかりすぐに手術とその為の治療に取り掛かりました。

正式に骨髄炎と診断されてからの5回目の手術は、感染している骨を取り除く手術でした。
今回ヨザ先生には手術の前後の他、術中も遠隔ヒーリングをして頂きました。
手術自体は約3時間ほどでしたが、術後1時間位でお腹がすき水分を取る前に食べれるなら食べても良いと許可が出て炭酸水とアイスとプリンを夫と半分こで食べました。また、夕飯も術後すぐなので止められていましたがお腹が空いてしまい看護師さんにコンビニでお弁当を買ってきてもらいました。完食しましたが足りない位でした。
その後は麻酔が切れ一手術当日の夜は今まで体験したこともない痛みに苦しみましたが翌日は嘘のように痛みが引いて、その後の痛み止めも1週間位で必要が無くなりました。

ヒーリングを受ける前の術後とは、大きな手術をしたのにも関わらず全く様子が違いとにかく回復が早い事に驚きました。
術後は脚の感染を6週間かけて点滴などで鎮静化させますが、その間もヨザ先生のトリートメントを受け続けました。有難いことに今回は本当に経過が良く問題が無く過ぎてくれたので予定通り次の段階の手術を迎えることに!

6回目はとうとう骨盤の骨を脚に移植する手術です。
以前より大きな手術の為、緊張しましたがこれが成功したらまた歩ける様になる!と楽しみな気持ちもありました。
この頃はすっかり気持ちも元気でヨザ先生に出会う前に7キロ減った体重も元に戻っていました。
今日は他の患者さんから、術後4日目で手術の痛みがほぼなくなり今まで通り動いていたら、ちょっとその元気さ異常じゃない?とまで言われてしまうほどでした。
移植の為、骨をとった骨盤の痛みにも個人差があり長引く人が多いそうですがこれも1週間後には全く無くなりこんなに早く痛みが引くのは珍しいと先生にも言われました。
実際、先に手術を終えた他の患者さんからはトイレでいきめない、くしゃみするのも怖いと聞かされていたのでどうなることかと不安だったのですが…

やるべき手術が全て予定通り終わりもちろんその後の経過は順調そのもので、主治医の回診でもいつも順調ですね…良い事ですが、今までとの違いに戸惑いすらありました。
トリートメントはもちろんですがヨザ先生とノリコさんは本当に親身になってくださり、私の大きな心の支えでした。
怪我を治す考え方も変わりました。
セカンドオピニオンで良い先生に診てもらい適切な治療をしていただいて、医療、薬は勿論重要ですが、どんな病気や怪我でも大切なのは自分の自然治癒力という事に気付かせてもらいました。
ヨザ先生の治療はそんな本来人間に備わっている自分で治す力を高める作用をもたらしてくれているのです。そして、おまけに顔のシミです!10年以上も前からある大きなシミが、なんと薄くなるという思いもよらぬ嬉しい事実もありました。

夢にまでみた退院…とうとう事故から10ヶ月で退院できる事になりました。リハビリの為1ヶ月長くいて実際は11月までいましたが、あんな見通しすらつかない状態から、ヨザ先生に出会ってからわずか3ヶ月半足らずで退院できる状態になったのでした。今後はリハビリと通院で様子をみていきます。

今は家族との生活をまた笑顔で送れています。これだけの大事故だったので歩くにはまだまだ時間もかかりますが、ここまで治してもらった脚!絶対に諦めずに元に戻ってみせます。
そして、またフラが踊りたい。
いつかハワイへ行ってヨザ先生とノリコさんに一番辛い時から私を救ってくれたことへのお礼を言いたい。
不運にも事故にはあってしまったけれど、私の脚をここまで治して下さった病院の先生方本当にありがとうございます!
看護師さん、家族、友人、病院で共に過ごした仲間達、そして偶然(必然?)見つけた雑誌ハワイ特集のHanakoにも感謝です。編集の方、ヨザ先生を紹介してくれてありがとう! 
この出会いとすべての支えてくれた人に感謝の気持ちが持てて私は幸せです。
この経験は今後わたしと家族の人生の糧となる事でしょう。
こんな事でも決して無駄では無かったよ…ね!神様

ミズノ ユキ